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1962年の在越日本人
名古屋のIT会社のCMOがご来社されました。こちらもジーニーズ阪社長からのご紹介で、私がまだベトナムにいるということで急遽アポが入りました。

いつもどおりのご訪問であろうかと思っていたら、大変興味深い話に発展しました。お母様と一緒にいらっしゃったIさんは、なんと45年前1歳のときにベトナム中部ダラット南方に住んでいたのです。

太平洋戦争が終わり、ホーチミンのベトナム解放同盟(ベトミン)の希望に反し、米ロ冷戦のあおりを受けてベトナムが南北に分断されていた時代。アメリカ資本主義の後押しで首都サイゴンが経済発展を遂げ、その恩恵を得た富豪たちによってダラット高原が避暑地として開かれていた頃です。

岐阜にいたIさんのお父様は、陶器工場を南ベトナム企業と合弁で立ち上げた会社に誘われて、他の5家族とともにベトナムに渡ることを決意します。お母様によると、当時ベトナムに行くなんて正気の沙汰ではないと周りに言われ、勘当を覚悟でご主人について日本を飛び出したそうです。

しかし、南ベトナムのベトミンのゲリラ活動が活発になり、戦火が中部にも広がってきたので、他の家族よりも早く日本に帰国されたそうです。今回、45年ぶりに現地を訪れるに際し、他の家族にも呼びかけをしたそうですが、Iさん家族より遅れて戦火に巻き込まれて命からがら引き揚げた他の家族は、もう二度とベトナムには行きたくないということで同行は実現しませんでした。

来越にあたり、当時の写真をたくさん持参されていました。歴史的にもすごい価値のあるものです。さらに、その中に工場立上げで現地採用された、旧日本軍の兵隊さんで引き揚げを拒否した方も写っていました。私は学生時代からベトナム研究をしてきましたが、引き揚げを拒んでベトナムに残った旧日本軍兵士の実写真は初めて見ました。

弊社をご訪問後、当時の工場を探しに現地に向かわれる予定ですが、当時の場所に辿り着かれて、何か当時を知る人とお会いになられることと切に願います。
| あさいっち(浅井 崇氏) | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
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